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災害時の連絡手段も限定的
1月17日に阪神・淡路大震災から25年目の節目を迎えた。平成7年の発生当時は携帯電話が普及の進展期にあったことから、当時勤務していた新聞社の社内でも所有していない社員がいたのを記憶している。これに加えて平成5年に商用インターネットサービスが始まってから数年しか経過していない時代だったから、災害時の連絡手段も限定的だった。それ故に、被災地の状況を知る上でテレビやラジオ、新聞が貴重な情報源だったが、そんな時代に株式の専門紙といえども震災当日の新聞発行を断念したのは悔しい思い出だった。
貴重な体験が語り継がれる
震災当時は筆者も駆け出しの記者だったが、その時にお世話になった方の多くがこの数年で他界された。直近では神戸で被災地した当時の上司から年賀状が来なくなり、携帯電話の契約も解除になっていたことから、元気にされているかが心配になっている今日この頃だ。ふと気付けば周囲に震災を経験した方々が少なくなってしまった。この先、数十年したら震災の経験者は更に少なくなってしまうが、何れ再度到来する震災に備えて、貴重な体験が語り継がれることを願っている。
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